メガバンクを退職、大手電機機器メーカーへ転職した第二新卒の誤算

メガバンクを退職、大手電機機器メーカーへ転職した第二新卒の誤算

メガバンク・・・

メガバンクとは、三菱UFJ銀行・三井住友銀行・みずほ銀行の三行を指していて、日本で最も大きな都市銀行群を総称した名称のこと

皆さんはメガバンクにどのようなイメージをお持ちですか。

エリート・高年収・勝ち組といった華々しいイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。

しかし、メガバンクの銀行マンといえば誰もが憧れる職業だったのは遠い昔の話。今では構造的不況業種とされ年々経営は厳しくなっています。

事実、2016年3メガバンク全体での採用人数は、5000人を軽く超えていましたが、2020年の採用計画では1680人となっています。

メガバンクでは、そんな現状を目の当たりにした若手社員の退職が相次いでいるとのこと。

本記事では、メガバンクを退職し、第二新卒で大手電機機器メーカーへ転職した 一人の男性の物語をご紹介いたします。

本記事で登場する人物は転職に成功したわけではありません。
どちらかと言えば失敗・・・

いや完全に失敗です。なぜならすでに転職を検討しているのですから。

どこでボタンを掛け違えてしまったのでしょうか。

彼のストーリーとともに振り返ってみましょう。

こんな方にオススメの記事
▶︎メガバンク退職者の話が聞きたい方
▶︎転職に失敗したくない方

プロフフィール

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初めまして。大学を卒業後新卒で、メガバンクに入社をした佐々木です。
現在は2年ちょっとで退職をして大手電機器メーカーで働いています。

今の会社には勤めてまだ1年に満たないのですが、すでに転職を考えています。

なぜこんなことになったのか・・・私のエピソードをお話ししたいと思います。

私が大学に入学後、メガバンクを退職そして現在転職するまでの私のストーリーをご覧ください。

平凡な学生だった私が銀行に内定するまで

私は明治大学に入学後、特に部活やゼミに精を出すわけでもインターンに行くわけでもない平凡な大学生でした。

週3日程度バイトに顔出し、あとは近所のファミレスで何時間も友人と入り浸るような生活をなんとなく過ごしていました。

そんな平凡な私の生活も、就活の存在でいつか終わりが来ることを思い知らされます。

特に行きたい会社などなく、何がしたいかもわからない。

とりあえず、名の通った企業には片っ端から話を聞きに行きました。

しかし、何社回っても自分のやりたいことなど見つからず、就活も全くダメ。

夏になり、回りが徐々に内定を獲得する中自分は無い内定

大学に行くと回りが内定先について話したり、旅行の話で持ちきりの中、
私は必死にカレンダーの予定を面接で埋めていました。

結局、二次募集で前職のメガバンクに内定をもらうことができたのは少し肌寒くなっていた秋のこと。

当時は、やりたいことがないならせめて潰しがきく会社に入ろうと、転職市場価値が高まりそうメガバンクへの入社を決意したのです。

当時から銀行マンはきついだの、減点方式で仕事がつまらないだの、強烈な縦社会で体育会系の風土があり、風邪通しが悪いと言った悪評がうごめていました。

先輩の一人が既にメガバンクで働いており、話を聞きに言ったのですが「こんな会社やめとけ。悪いことは言わないから、銀行マンだけにはなるな」と言われましたが、どうせ辞めるし短期間で力がつくならそれでいいやと腹をくくっていました。

先輩の言っていた言葉の意味を理解するのにそう時間はかかりませんでした。

想像とは何もかもが違った、メガバンクの銀行マン時代

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入行後は、私の想像とは全く異なる世界が待っていたのです。

私の銀行マン生活は都心部から少し離れた辺鄙な支店でスタートしました。
きっとエリート社員が私を待っているに違いないと期待に胸を膨らませていました。

しかし待っていたのは、キチガイ支店長に、キチガイ上司。

朝から支店に怒号が響くこともありました。
大の大人が支店で何度も男泣しているのを何度も目のあたりにしました。
うつ病で休職する先輩が何人もいました。

あれ、ここは証券会社?と勘違いしそうなくらい体育会系気質な環境だったのです。

銀行マンといえば知的で、冷静な人が多いと思って入社したのに・・・(※勿論、支店による)

イメージと違ったのは職場の雰囲気だけではありませんでした。

私は金貨しを覚えるために会社にやってきたのに、現実は毎日、担当先に言ってお願いする日々。

銀行には、クレジットカード枚数が○○枚・新規開拓融資件数○件といった項目がたくさん並べられていて中にはお願い営業でなんとかなるものもあるのです。

当時は日銀のマイナスの金利政策の初めで、我々が融資する際の金利も低く、利ざやが取りにくいことから、債権や投信、保険等の販売に力を入れており、顧客にリスクのある商品を毎日売り歩かねばならないのでした。

中でも酷かったのは月末(特に3月)

月末になると、銀行は融資の総額の数字を必死で詰めに行きます。

日銀の政策で銀行には必要以上のお金がありましたが、融資には厳しい基準があり、簡単にはお金を貸すわけにはいきません。

では、どうするか?

お金を借りる必要のない人に貸すのです。

財務状況が綺麗な会社は、お金を借りる必要はありませんが、貸すのは簡単です。

そこで、人情にあつかったり、お涙で動いてくれる財務が盤石な企業の社長の元に訪問し「来月返済で1億借りてくれませんか」という提案をお願いして回るのです。

「もうだめだメガバンクを退職してやる」と思った日

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パワハラが横行している職場、売りたくもない株・投資信託・仕組債といったリスク性商品の販売や、意義のない融資提案。私の心は摩耗していました。

また、銀行の事務手続きの多さがさらに私の心を蝕んでいくのです。

事務手続きで1日が終わるのはざらで、印鑑を貰うために何度も上司や顧客の元を訪問しなければならず、俺は今日、何の成長をしたんだっけと自問自答する毎日。

さらに追い討ちをかけるように、銀行の暗い将来を煽る文章や雑誌の特集が私の胸に突き刺さります。

当時メガバンクは来たる厳しい経営環境に備え、コスト削減のため、段階的に人材を減らしていくという発表をしたタイミング。

中には従業員の1 / 3程度を減らすメガバンクもあり、銀行の経営を面白がってネタにする記事が増加していたのでした。

ガヤガヤしていたのは外部の集団だけではありません。

全国から同期が集まり年数回開催される研修で、重役が「お金を稼ぎたいのであれば銀行はやめてください。米国の融資担当者の平均年収は年々下がり今では5万ドル程度しかありません。」といったネガティヴな話を延々するのです。

こいつはこれからバンカーを目指す将来有望な若手社員の前で何を考えて話をしているのだろうかと呆れてしまいました。

暗い話をしているには、重役だけでなく、身近な上司もでした。

飲みに行けば、愚痴の嵐と社内政治の話、挙句「こんな会社早いうちに辞めろ」といってくるのですから組織の先端から末端まで、本当に士気の低い集団です。

こんな会社にいても何も変わらない。退職しようといよいよ私は決断したのでした。その時はメガバンクの銀行マンとして1年半の月日が経過していました。

銀行マンがそんなに転職活動しているんですか?

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メガバンクからの退職を決意した私は早速複数の転職サイトに登録しました。

どこに登録していいのかわからなかったので、とりあえず手当たり次第私が知っている転職サイトの登録フォームに片っ端から入力です。

登録したのは夜中だというのに、翌日私の元にはたくさんのオファーが来ていました。

メガバンクをファーストキャリアに選んで良かったぜ。

なんて思ったのも束の間。オファーの殆どは転職させさえすれば良いエージェントだったのですから。

エージェントと初めて面談をした日に私は衝撃的な事実を聞かされます。

「最近銀行マンの登録が本当に増えていて、以前君の支店の人も担当したんだよ」とエージェントから言われたのです。

エージェントの情報管理がガバガバなのはさておき、どうやら銀行マンの転職サイトへの登録が増えているのは本当で、日経新聞にもご丁寧にもグラフ付きで登録者増加しているという内容の記事が掲載されていたのです。

これだけ多くの銀行マンがアクションしているのだから、早く転職しないと私の転職先がなくなってしまうとその時思ったのでした。

自己紹介でしどろもどろ、最初の転職面接

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いくつかエージェントを通じて何社か申しこみをした結果、すぐに書類通過の連絡が来ました。

そこからはすぐに面接の日程が決まり、約2年振りの面接をすることに。

最初の1社目は六本木にある某コンサルティング会社。

面接当日、外資系の雰囲気漂うオフィスに圧倒されながら、入館証を発行しオフィスのある階まで向かいます。

オフィスは凄く洒落ていて、受付のお姉さんめちゃくちゃ綺麗ーと久しぶりの面接を前に興奮していました。

待合室に案内されると、そこにはたくさんのスーツを着た人たちが待っていました。

中にはキャリーケースを持っている人もいて、競争の厳しさを思い知らされました。

私の緊張は打って変わって、最高潮。

ついに私の番になり部屋に案内されると、ニコニコした優しそうなシニア社員が立っていました。

オフィスに来るまでのエピソードを話し、簡単なアイスブレイクも済ませたところで、早速自己紹介をお願いされました。

しまった、久しぶりすぎて自己紹介の仕方を忘れてしまった。私の頭の中は真っ白になりました。

自己紹介なんて、銀行マンとしてお客様と接する際に何度もしてきたので、何の対策もしていませんでした。

しかし、面接での自己紹介は自分のキャリア等について説明しなければならず微妙にニュアンスが違うことにそのとき気がついたのです。

「私は、今年25歳になりまして、若い頃は、野球を嗜んでいました・・・」その後は記憶がありません。

私は面接で、お客様と関係構築するための当たり触りのない会話をダラダラしてしまったのです。

面接官のムッとした顔を今でも覚えています。

その後矢次早に質問が飛んできます。

「折角メガバンク入社したのになんで退職したいの?」「メガバンクで発揮された君の強みってなに」

自己紹介も満足にできなかったのですから、こんな回答に答えられるわけないですよね。

その後は散々でした。

オフィスを出てカラカラになった私の喉を貰った水で潤し、ロゴの入ったペットボトルを自分の記憶から抹消するためにゴミ箱に捨てました。

「落ちたな、バイバイコンサル会社」

メガバンクから退職を焦りすぎた私の過ち

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一度やめると決断すると、今やっている仕事のことがどーでもよくなります。
上司に何を言われても気にならなくなるのです。

あー早く辞めたいと、来たる退職日を待ち焦がれる日々が続きました。

転職活動がうまくいかず、仕事のモチベーションもないそんな日が続く中で

もうどこでもいいかなと思はじめてしまいました。

転職を始めた当初は転職の目的は、今よりもっと良い環境で働きたいという思いがあったのですが、気づけばただ目的が転職にすり替わっていたのです。

目的が転職になったこと、これが私の過ちの始まりでした。
目的がすり替わってからの私は、転職先に求めるのはただただ内定。

面接をこなした企業数が10社を越した、5ヶ月もの歳月が過ぎた時。
エージェントから一本の電話を受け取りました。

藁にもすがる思いで面接に行き順調に先行が進んでいた、日系大手電気機器メーカーから内定の通知が来たとのこと。

私はSierとして採用され、メガバンクに在籍していた経験から金融機関を対象にした部門へ配属と聞かされていました。

「どうしますか」とエージジェントの質問に被せるかのように「行きます」と即答しました。

漸く、メガバンクから退職できる。と私は心が晴れ晴れしかったです。

その日の空は本当に綺麗で青かったです。

メガバンク退職、「お世話になりました。」

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退職を告げてからすぐに退職できるわけではありません。
引き継ぎやら、退職の事務手続きやらで、最低1ヶ月はかかるとのこと。

ここでも大量の書類・事務手続きに悩まされますが、私の心はもう、ウキウキでした。

本当に1ヶ月はあっという間で、気がつけば最終出社日になっていました。

最終出社日は嬉しさのあまり、総額3万円ものお菓子をお世話になった社員に渡して回っていました。

そして有給をバカンスで満喫して私のファーストキャリアは幕を閉じたのでした。

大手電気機器メーカーのSier

最初の一ヶ月、これがIT系の企業なのかと驚かされました。
チャットでの会話に、リモートワーク。なんて無駄の無い働き方なんだろうか。

Sierとしての仕事の進め方や、PCの設定等、緩やかに研修は終わり現場チームに配属となりました。

違和感を感じたのはチームに配属されて割とすぐのこと。

自分が配属されたチームはシステムの設計に失敗していて、かなりの謝罪案件が溜まっている不採算事業部だったのです。

当然新しいサービスを売り込むフェーズではなく、私の仕事は謝罪案件の雑務をこなすだけの人になってしまいました。

具体的な雑務は、サーバーを置く面積がどれくらいクライント先にあるか測りに行ったり、サーバー設置中に人が部屋に入ってこないようイベントスタッフのようにドアの前で見張りをしたりとどれも総じてクソだったのです。

私は何もできないのにも関わらずシステム導入に立ち会い、ただひたすら現場にいて、何かあったらエンジニアに伝えるということを繰り返していました。

ひどい時は終電まで、ぼーっとクライアント先に常駐し、私には解決できないことをひたすら聞かされていることもありました。

酷かったのは業務だけではありません。私のチームのヘッドは本当に頑固野郎。
仕事に慣れ一人立ちできるようになった頃、リモートで勤務しようと思い会社のフリーワークスペースで仕事をしていました。

すると上司から、今どこにいますかいつものところに来てくださいと召集をかけられました。

「何勝手にリモートワークしているんだ、うちのチームは原則出社で固まって仕事をするんだぞ」と叱られたのです。

私は耳を疑いました。

この上司は役職で言えば課長クラスの人ですが、自分がコミュニケーションを取りやすいという理由だけで、事業部としてカルチャーを無視していたのです。
( ※事業部としては、リモートワークを推奨)

同じように転職をしたがっていた同期

私の同期もまた同じような悩みを抱えていました。

彼は私と同じように新卒でメガバンクに入社し、その経験を買われ私と同じ事業部に配属になったのです。

二人が意気投合するのに時間は必要ありません。仕事の愚痴を電話でいい合うのが日常茶飯事でした。

そんな彼が、ある日いつもとは違うトーンで電話をしてきたのです。

「何なんだこの仕事。本当に意味ないし、給料もやすい。メガバンクの同期は月給で30万近く貰っているのに俺は・・・退職しなきゃよかったな・・・」

(メガバンクを退職したことに未練タラタラの様子)

「もしかして転職考えてる」と聞くと、「うん。さっき転職サイト登録したわ」とあっけらかんに言うのでした。

私は「マジで、俺もさっき転職サイト登録したんだよね」とサイトの画像をスクショして送り、お互い傷を舐め合うのでした。

さて、私たちは二人して転職失敗しました。

ではなぜ転職失敗は起こったのでしょうか?

次回は転職失敗者がなぜ転職を失敗したの解説して行きたいと思います。

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